加美屋について
about
昔ながらの良いものを大切に守り継承しつつ、さらに新しい発想で刷新していく。その精神こそ、京都が平安時代より千年余、悠久の時を経てなお現在、歴史的文化都市であり続けることができた理由だと思います。
古いのに新鮮で、新しいのに懐かしい。京都の店や物にはそんな空気が満ちています。
京都には昔から、人知れず、伝統的に受け継がれている逸品コスメがたくさんあります。
近年では、舞妓さん、芸妓さんに愛されてきたコスメアイテムが、いわゆる「京コスメ」として広く知られるようになってきています。
中でも、今やお化粧直しの定番品となった、あぶらとり紙。
加美屋はそうした、あぶらとり紙メーカーの一つです。
明治後期~大正
明治後期(口伝43年)の加美屋は、京都で働く紙職人の集まりでした。
仕入れた原紙(原反 げんたん)に色を塗ったり、凹凸柄(エンボスといいます)を付けたりして、着物の帯の貼り箱や、伝票の背貼りテープ、出席簿、卒業証書の筒、お道具箱、書籍、結婚式の引き出物袋などを装丁する上紙として多くの商品、行事に彩りを添えておりました。
時代を経て、お寺で襖紙として使われる金銀紙を製造するようになると、その独特の風合いが、従来の伝統工芸だけでなく工業分野でも認められ、日本酒のラベルなどにも同様の技法の金銀紙が採用されました。
(※こちらも現在、高級金銀紙「桂」として、たくさんのお客様にご愛顧いただいております)
昭和
あぶらとり紙はお顔に使うもの。
工芸品も難しい部分はたくさんありますが、人の体に触れるものをつくり、提供することへの責任は重大です。
迷いはありましたが、お求めになられているお客様がいらっしゃるのなら、と製品開発をはじめました。
あぶらとり紙に関連して、フェイスパック用シート「こっとん紙」なども開発。
「紙コスメ」として事業展開を始め、様々な企業様、個人様の販売用、広告用に、商品を受託製造していました。
お寺に関連する仕事に携わるなか、知己を得た金箔工芸師の方たちから、金箔を叩く時に使う金箔打ち紙が稀少で高価なあぶらとり紙として販売されており、それに劣らない高品質のあぶらとり紙を安定供給できないか、ご相談を受けました。
試行錯誤の末、ついに納得のいくあぶらとり紙ができあがりました。
成功のカギは、やはり永年引き継ぎ続けてきた、紙の加工技術でした。
その粋を極めた製法で、伝統の金箔打ち紙と同レベルの性能を有した「あぶらとり紙」を、安定して製造することができるようになったのです。
平成
しかし、いつもに気になっていたのは、商品をお使いになるお客様のことでした。
もっと直にお客様の声を聞き、もっと愛される商品を届けたい。
そんな思いから自社のブランドを立ち上げると決めました。
店名は長く商ってきた紙屋をもじり、また心と体に美しさを加える、という意味を込めて「加美屋」としました。
さて。あとは店の目印となるものを何にするのか。
悩んだ末、ふと頭に浮かんだのは代々、お正月の初もうでに参拝してきた伏見稲荷大社でした。
お社の門を守る神様の使いでもある白いキツネが選ばれたのは、夢で白キツネを見た女性には、幸せが訪れるという言い伝えがあると知ったからです。
まさに我々の願いにぴったりでした。
元号も令和になった現在では、普段のコスメにちょっぴりプラスできるお手軽な「紙コスメ」に加え、素肌本来の自然美を引き出し、お化粧を際立たせる「加美コスメ」を開発、販売しております。
おかげさまで多数のお客様に支えられながら、伏見稲荷大社のお膝元で、今日もお店を続けさせていただいております。
お客様の幸せに、加美屋の商品がお役に立てましたら幸いです。
なにかいいことありますように。
加美屋 市原 孝三
お客様のキレイのために、加美屋ができる2つのこと。
一つは、外側から。お肌の皮脂バリアを正しく保って、素肌美人になっていただくこと。
もう一つは、内側から。幸せな気持ちでいていただくこと。
うれしい。たのしい。かわいい。持ってるだけで、気分が上がる。使ってると思わず微笑んじゃう。
そんな「とっておき」になれるよう、これからも商品づくりに取り組んでまいります。